「前方に強い音素反応を捉えました」
―Episode.7
「たぶん其れがユリアシティです。」
魔界の海を推進し続けること数時間。
タルタロス操舵席のソナーの様な装置に映し出された画像を見てティアが告げる。
ティア達の視線の先には、外殻大地が崩落して出来た巨大な空洞から落ちる、外殻の海水によって大瀑布が広がっていた。
入港の際に水圧で潰されるのではという懸念が生じたが、地面に近い場所では水分が気化しているためその心配はなかった。
入港の準備を整えながらジェイドが振り返った。
「ガイ、ナタリア達を呼びに言ってもらえますか?」
「え…?」
船窓からどこか遠くを眺めていたような視線をジェイドに向ける。
「貴方が女性恐怖症なのは充分わかっています。
しかし私はタルタロスの操縦がありますし、ティアには入港の案内をしてもらう必要があります。
アニスはイオン様についていなければなりませんしね。」
つまり手が空いているのはガイしかいない、と無言で告げジェイドは再び前方に視線を戻す。
その言葉をガイの後ろで聞いていたイオンが口を開いた。
「それなら僕がアニスと一緒に行きます。…にきちんと助けてくれたお礼やお詫びも言いたいですし。」
「いや、俺は大丈夫だよ。色々バタバタしすぎて知らない内に身体に障ってるかもしれないからイオンは待っててくれ。」
「…でも…」
イオンが言葉を続けようとした所でアニスがガイの表情をみて何かに気付いた。
企みを含んだような笑みを一瞬浮かべるとイオンの前に回りこんで両手を握る。
「そうですよイオン様、アクゼリュスに着いたときからちょっとずつでも瘴気吸ってるんですから。
ここはガイに任せておいたほうがいいです。」
「そういうこと。」
アニスの言葉を聞きながらガイが答える。そのまま機関室の出口へと踵を返しはじめた。
「ガイー、いってらっしゃい、ごゆっくり〜。」
「?な、なにニヤニヤしてんだアニス。」
ガイがドアノブに手を掛けたと同時にアニスが一人楽しそうに笑みを浮かべる。
アニスの表情と言葉の意味が汲めないままガイはその場から出て行った。
「ナタリア、俺だけど…。」
が眠りナタリアが看病している船室のドアを二回叩いた後ドア越しに声を掛ける。
数秒の間を置いて中から女性らしい声が返ってきた。
「ガイ?どうかしましたの?」
「あぁ、なんかそろそろユリアシティに着くってさ。」
「わかりましたわ。」
ノックをしたままの体勢から動かずガイはドアの下に視線を落とした。
薄ぼんやりと思考を巡らせ、再び視線を持ち上げ恐らくナタリアが居るであろう位置にあわせる。
「ナタリア。」
「なんですの?」
鉄製のドアを1枚挟むことで声が互いにくぐもる。
ガイは頭の隅でそんな事を思いながら一度小さく息を吐いた。
「その…の具合は?」
「…まだ眼を覚ましませんわ。」
「そう、か。」
扉を叩く為に軽く握られた拳が緩む。
そのままその手でドアノブに手を掛けるが、結局握るだけに終わった。
「ガイ。」
「なんだい?」
「どうして入ってきませんの?」
ドアノブを握っていた手がピクリと動く。
数分前からずっとぎこちない動きしか成さない自分の腕を他人の物のように見つめた。
「…いや、俺はもうすぐ街に着くことを知らせにきただけだから…。」
果たしてドア越しで聞こえたのだろうか、と思えるような声を流して再び視線を落とす。
それと同時に部屋の中からコツコツとやや力強い足音が近づいてきた。
「何をコソコソ言ってるのです!殿方ならもっとはっきりなさい!」
「なっ!?」
―ガン!!
足音が止んだかと思った瞬間、扉が勢いよく開いた。
どこかぼうっとしていたガイはその鉄製の扉を顔面に喰らい、鈍い音を立てた。
「っぅぉ…っ!」
脳内まで叩かれたように響く痛みにガイは頭を抑え声にならない呻きを上げながらしゃがみ込む。
ナタリアもこんなドアの間近にいるとは思わず唖然とガイに視線を落とした。
「ま、まぁ、ごめんなさいガイ。まさかこんな側にいただなんて…」
「い、…いや、いいんだ…ボーッとしてた俺が悪いから…。」
右手で頭を摩りながら途切れ途切れに答える。
そのまま立ち上がると、想像以上に目の前に立っていたナタリアに怯み思わず一歩下がった。
ナタリアが一瞬浮かべた情けない、という告げる表情にガイが気付く。
「…ほんと、情けないな俺は。」
「…っ」
ガイが自嘲気味に零したところで、小さく息を呑むような音が二人に届いた。
「…?」
ナタリアが振り返りながら駆け寄る。ガイもそれに続いて彼女が横たわるベッドへと歩み寄った。
白く薄い毛布を肩まで掛け瞳を閉じていたの表情がわずかに歪む。
ナタリアがどうしたものかと逡巡しているところに、ガイがナタリアと十分な距離を置いて傍らから様子を伺った。
「また魘されてるのか…」
「『また』?どういうことですの?」
の顔の横近くで床に膝をつき、彼女の額に手を当て体温を見ていたナタリアが聞き返した。
「ちょっと前…タルタロスから脱出してセントビナーに向かってた時。
つまり君がまだバチカルにいた頃なんだけど。その途中で一晩野宿したんだ。
俺が見張りで起きてたそのときも軽く魘されていた。…まぁ別にたいしたことはないらしいんだけど…。」
―「…『怖い』とは…『恐怖』とは…どういうことだ…?」
ガイは簡単に説明しながらうすぼんやりとその情景を思い浮かべた。
あれからそう時も経っていないというのに、そこに写る情景はひどく儚かった。
ナタリアはそれを聞きながら、わずかに身じろいだに気づき視線を戻す。
鈍い動作での瞼が開いた。
「!よかった気がつきましたのね!」
ナタリアの安堵したような声にゆっくりと瞬きを1回、2回と繰り返して焦点を合わせる。
そのまま視線をナタリアへと運んだ。
「…ナタリア…?…そうか、私は…」
自分の意識が失われる直前までの記憶のかけらを合わせながらゆっくりと起き上がった。
「まだ横になっていた方がいいんじゃないか?」
するりと肩から毛布が落ちるのを一瞬目で追いながらガイが声を掛ける。
はガイを見ずに、小さく答えた。
「いや、もう大丈夫だ。…すまないナタリア、余計な手間を掛けさせてしまった。」
の言葉に、ナタリアが悲しそうな表情を見せ、の左手を自分の両手でぎゅっと握った。
「『余計な手間』だなんて…、、私たちは仲間ですもの、助け合って当然でしょう?」
「…私は捕虜だ。」
「…そんな…」
「そういえば、また魘されてたみたいだけど、この前と同じ夢でも見たのか?」
首をうなだれてしまったナタリアを見かねてガイが話を逸らした。
その声に一度ちらりとガイを見上げてからまた落とし、自分の手を、額を覆うようにあてた。
「あぁ…最近よく見る。…その度に情景が鮮明…」
―コロセ
「……っ!?」
突然言葉を切ったかと思った次の瞬間にの表情が歪み額に当てていた手をぎゅっと握った。
それに気づいたナタリアが驚いた様子で顔を覗き込む。
「どうしましたの?!また具合が…!」
「…いや、なんでもない。」
「けど顔色が…」
「悪いが…、少し一人にしてくれないか…ユリアシティに着き次第私も行くから。」
前髪をくしゃりと握っていた手をゆっくりと解き、静かな声でそう告げた。
視線を外されて言われたナタリアはまた俯く。
「わかった行こう、ナタリア。」
断ち切れてしまった空気をつなぎ合わせるようにガイがナタリアに言う。
ナタリアはその言葉を聴いてゆっくりと立ち上がった。
何か言いたげだったナタリアが言葉を飲み込みそこから離れるのを見届けると、ガイが未だ視線を落としままのを見やった。
「じゃあ俺も行くけど…無茶はするなよ…?」
「…すなまい、ガイ。」
ガイが自分にだけわかるようなため息をついた。
「…謝ってばかりだな、お前は。」
「……?」
「いや、なんでもない。」
ガイは静かに扉を閉めて出て行った。
「現(うつつ)の時に声を聞いたのは…あの時以来、か。」
ベッドの端に腰を下ろしながら、確認するように声にした言葉は誰も居ない空間に飲まれて消えた。
数分後、入港したらしく、タルタロスの動きが止まったのを感じ、はテーブルの上に置いてあった仮面を取り部屋を出た。
「ふえ…これがユリアシティ…?」
「えぇ、奥に市長がいるわ行きましょう。」
太陽も月もない、人工的な灯りだけが照らす一本の長い道。
その先に見えるドームの様な、およそ他人を歓迎するような空気ではないその建築物を見ながらアニスが言った。
アニスを先頭にゾロゾロとタルタロスから下りてきたジェイド達はティアの言葉に促され歩き始めた。
ルークとティア以外の全員の背中が小さくなり始めた頃、がタルタロスから顔を出した。
それに気付いたティアが振り返る。
「…よかった、もう大丈夫なの?」
「あぁ。…他の皆は奥か?」
の問にティアが頷くとも歩き始めた。
彼女がルークの横を黙って通り過ぎ、ティアの傍らを過ぎた所でティアも体の向きを変え一歩進む。
しかし、未だに呆然と立ち尽くしたままのルークに気づき、直ぐに足を止めて振り返った。
「いつまでそうしているの?みんな市長の家に行ったわよ。」
ティアのその声にも立ち止まりティアの横に踵を返した。
ルークは焦点の合わない視線を降ろしたまま上げることはない。
「…どうせみんな俺を責めるばっかなんだ、行きたくねぇ。」
「とことん屑だな出来損ない!!」
拗ねた子供の様な声に、ティア達が反応するより早く、タルタロスの上空から突然アッシュが飛び降りてきた。
驚いたルークが一歩下がり口を開く。
「お、お前!…どうしてお前が此処にいる!師匠はどうした!」
ルークの言葉にアッシュの眉間の皺が深くなる。
「ふん、裏切られてもまだ『師匠』か。」
「裏切った?…じゃあ本当に師匠は俺にアクゼリュスを…」
ルーク中の何処かでまだヴァンという男は自分の信頼できる師である。
そうであって欲しいという願望はアッシュの言葉に消された。
アッシュは眉間の皺をそのままにルーク同様視線を落とした。
「クソ、俺がもっと早くヴァンの企みに気付いていればこんなことには…!」
そこまで吐き捨てた所で再び顔をあげルークを睨んだ。
「お前もお前だ!何故深く考えもしないで超振動を使った?!」
「お、お前まで俺が悪いって言うのか?」
「悪いに決まってるだろうが!ふざけた事言うな!!」
最早自分を庇護してくれるのであれば誰でもいいような状態に狩られたルークの言葉に、
アッシュは今にも爆発して食って掛かっていきそうな衝動を抑え怒鳴る。
「俺は悪くねぇ、俺は悪くねぇ俺は…!」
「冗談じゃねぇ!レプリカってのは脳味噌まで劣化してるのか!」
「レプリカ?そういえば師匠もレプリカって…」
狂った信者が繰り返し読経するようなルークの声をアッシュがかき消す。
アッシュから零れ出た『レプリカ』という言葉にルークは漸くアッシュと視線を合わせた。
「…お前、まだ気付いていなかったのか、ハッ、こいつはお笑い種だな。」
「な、なんなんだよ。」
「教えてやるよ『ルーク』」
口端を吊り上げ鼻で笑ったアッシュが、意味深げにルークの名を呼んだ。
アッシュが何を言わんとしているか察したティアの肩がビクリと動く。
「アッシュ!やめて!!」
「…よせ。いずれ知らねばならぬ事だ。」
走りこんででもアッシュの言葉を阻もうとしたティアをが腕を伸ばして制した。
その様子をアッシュがちらりとみやると再びルークに向き直る。
「俺とお前、どうして同じ顔をしてると思う?」
「し、知るかよ。」
「俺はバチカル生まれの貴族なんだ。7年前に『ヴァン』て悪党に誘拐されたんだよ。」
浮かべた嘲笑はルークにか、はたまたアッシュ自身にか、どちらともとれるようなその表情を変えず言葉を終える。
それを聞いたルークの目が、焦点の定まらないまま見開いた。
「ま、まさか…」
「そうだよ!お前は俺の劣化複写人間、ただのレプリカなんだよ!!」
「…うそだ、うそだうそだうそだ!!」
ルークは狂ったように腰の剣を抜いた。
其れを見たアッシュも剣を抜き、鼻で笑うような笑みを携えた。
「やるのか?レプリカ。」
「嘘をつくなぁぁぁぁ!!」
自暴自棄のままルークはアッシュに向かって走った。
そのまま横に一振りするが、何も見えてないルークの一閃は簡単に弾かれる。
その反動でルークは飛ばされ無残に背中を打つ。
起き上がるが座り込んだままの彼の身体はカタカタと震えていた。
「う、嘘だ!おれは…!」
「俺だって認めたくねぇよ。こんな屑が俺のレプリカなんてな!
こんな屑に俺の家族も居場所も全部奪われたなんて情けなくて反吐かでる。…死ね!」
最早戦意などとうに失せたルークに向かいアッシュが駆ける。
アッシュが剣を振り下ろそうとした瞬間に、がルークとアッシュの間に入りレイピアで阻んだ。
「どけ女!邪魔するな!!」
金属同士が擦れあう音を立てながらアッシュが叫ぶ。
「…今ルークを殺して何になる。アッシュ、死は償いではない、逃げだ。
ここでルークが死ねばルークは何も理解出来ぬまま終わることになる。」
「……」
の後ろでルークが目の前の彼女の名を一度ポツリと零すと、度重なる精神身体への荷重にルークは意識を飛ばした。
それに気付いたアッシュが忌々しげに剣を降ろして背を向けた。
***
「これだけの陸艦をたった四人で動かせるのか?」
「最低限の移動だけですけどね。」
あの後、気絶したルークをティアの部屋に運び、アッシュはユリアシティの市長テオドーロを訊ねた。
タルタロスを外殻大地に戻すチャンスが一度だけある事を聞くと、アッシュは早々とジェイドたちを集めた。
ユリアシティに残ると告げたティアと、目を覚まさないルークを残しタルタロスに乗り込む。
「ねぇ、セフィロトって私達の外郭大地を支えている柱なんだよね?それでどうやって上に登るの?」
アニスが操舵席のひとつに座りながら疑問を口に出した。
彼女の後ろに立っていたイオンが其れに答える。
「セフィロトというのは星の音素が集中し記憶粒子が吹き上げている場所です。
この記憶粒子の吹上を人為的に強力にしたものが『セフィロトツリー』、つまり柱です。」
「要するに記憶粒子に押し上げられるんだな?」
「一時的にセフィロトを活性化し、吹き上げた記憶粒子をタルタロスの帆で受けます。」
イオンの言葉を最後まで聞き終えてからガイが大雑把に要約する。
ジェイドがそれに補足する様に付け加えた。
成功するのか否かのナタリアの不安を他所にアッシュが作業を促した。
「それで?タルタロスをどこへ着けるんだ。」
思いのほか衝撃もなく外殻大地に戻った所で、ガイがどこか刺々しくアッシュに聞いた。
「ヴァンが頻繁にベルケンドの第一音機関研究所へ向かっている、そこで情報を収集する。」
「主席総長が?」
自分のほうを見ないガイの背中にアッシュが冷静にそう告げる。
その言葉にアニスが不思議そうに問い返すとアッシュは視線を落とした。
「俺はヴァンの目的を誤解していた。奴の本当の目的を知るためには奴の行動を洗う必要がある。」
「あたしとイオン様はダアトに返して欲しいんだけど…」
「此方の用が済めば帰してやる、俺はタルタロスを動かす人間が欲しいだけだ。」
「自分の部下を使えばいいだろうに。」
アニスの要望を一蹴した所でガイが、やはり刺々しく船窓から遠くを見つめながら言った。
アッシュはなんとも思ってないように、それをすれば自分の行動がヴァンに筒抜けになるから無理だと告げた。
「いいじゃありませんの。私達だってヴァンの目的を知っておく必要があると思いますわ。」
「ナタリアの言う通りです。」
「…イオン様がそう言うなら協力しますけど…」
しぶしぶアニスが承知すると、ジェイドも知りたいことがあるから少しの間はアッシュに協力すると公言した。
ガイはまだ納得できないといった表情を誰にも気付かれないように見せ、突然に振り返った。
「、お前はどうするんだ。アッシュの言いなりか?」
「ガイ!あなたアッシュに対して随分冷たくなくて?!」
ガイのあからさまな物言いにナタリアが口を挟んだ。
「…言いなりかどうかはともかく、私の行動はジェイド次第だ。」
「…まぁ、そりゃそうか…」
ナタリアの咎めの言葉をさして気に留めることなく、の答えを聞くとガイはそのまま黙り込んだ。
「ベルケンドはここから東だ、さぁ手伝え。」
アッシュの言葉を口火に誰もが口を閉ざしタルタロスを東へと向けた。
「お前さんはルーク?!いや、アッシュか…?」
ユリアシティから戻った外殻大地の地点からベルケンドまで一時間弱ほどで着いた。
ベルケンドという街は全体が殆ど音機関という人工物で埋め尽くされていた。
そのまま目的の場所である第一音機関研究所の扉を潜りレプリカ研究室の奥まで進む。
研究所の一番奥に佇んでいた、齢60は軽く越していると思われるが奇妙なほどに背筋の伸びた老博士にアッシュが声を掛けた。
その男、スピノザはアッシュの姿を見るなり態と声を嗄らせた。
「はっ、キムラスカの裏切り者がまだぬけぬけとこの土地にいるとはな、笑わせる。」
「裏切り者ってどういうことですの?」
「コイツは俺の誘拐に一枚噛んでいやがったのさ。」
ナタリアの問いに淡々と答えたところで後ろに居たジェイドが口を挟んだ。
「まさか、フォミクリーの禁忌に手を出したのは…」
「ジェイド、アンタの想像どおりだ。」
最後まで言い切らなかったジェイドの言葉を、アッシュが振り返って肯定した。
スピノザはそこで初めてジェイドの顔を見やる。
「ジェイド!死霊使いジェイド!」
「フォミクリーを生物に転用することは禁じられたはずですよ。」
驚いたようにジェイドの名を繰り返し呼ぶスピノザに、ジェイドは鋭敏な視線をスピノザに向けた。
その突き刺すような視線を避けるように、言葉を捜すように、スピノザは床の染みを追った。
「フォミクリーの研究者なら一度は試したいと思うはずじゃ
あんただってそうじゃろうジェイド・カーティス、いやジェイド・バルフォア博士
あんたはフォミクリーの生みの親じゃ、何十対ものレプリカを造ったじゃろう。」
以外の全員が目を見開いてジェイドに振り返った。
ジェイドは中指で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「否定はしませんよフォミクリーの原理を考案したのは私ですし。」
「ならアンタにワシを責めることはできまい。」
正当化しようとするスピノザの言葉にジェイドは声のトーンを落とした。
「すみませんねぇ、自分が同じ罪を侵したからといって、相手を庇ってやる様な傷の舐めあいは趣味ではないんですよ。
私は自分の罪を自覚していますよ、だから禁忌としたのです。生物レプリカは技術的にも同義的にも問題があった。
あなたも研究者ならご存知のはずだ、最初の生物レプリカがどんな末路を迎えたか。」
「わ、わしはただヴァン様の仰った保管計画に協力しただけじゃ。レプリカ情報を保存するだけなら…」
「『保管計画』?どういうことだ。」
スピノザから出てきた、『ヴァン』と耳慣れぬ計画の名にアッシュが食いついた。
俯いていたスピノザは瞬時にアッシュと視線を合わせた。
「お前さん知らなかったのか?!」
「いいから説明しろ!」
「…言えぬ、知っているものとつい口を滑らせて締まったがこれだけは言えぬ。」
また床に視線を落としたままそれ以後一切口をあけなくなってしまったスピノザを前に、アッシュたちはその場を出るしかなくなった。
「ワイヨン鏡窟に行く。」
研究所を出たその場でアッシュが告げた。
「西のラーデシア大陸にあるという洞窟ですか?でもどうして…」
「レプリカについて調べるつもりなのでしょうあそこではフォミニンが取れるようですし。
それに、ラーデシア大陸ならキムラスカ領。マルクトは手を出せない。
ディストは元々マルクトの技術者ですからフォミクリー技術を盗んで逃げ込むにもいい場所ですね。」
「…お喋りはそれ位にしろ。行くぞ。」
ナタリアの疑問にジェイドが答える。その直ぐ後にアッシュが自分の部下に告げるような物言いで言った。
アッシュの態度にアニスは不満を露にした。
「ぶー!…行った方がいいんですかイオン様。」
「そうですね、今は大人しく彼の言うことに従いましょう。」
イオンがそう言うなら拒否しようがない。アニスはむっと頬を膨らませたまま俯いた。
「俺は降りるぜ。」
ガイが突然告げた。
全員が振り返り、意外にもアッシュが一歩外に近づいた。
「どうしてだガイ…」
「ルークが心配なんだアイツを迎えに行ってやらないとな。」
僅かに寂寥が篭ったような声色で問うアッシュにガイは正面からアッシュの視線を捉えて答えた。
アッシュが視線を落とした所でアニスが腰に手を当ててガイを見る。
「呆れた!あんな馬鹿ほっとけばいいのに。」
「馬鹿だから俺がいないと心配なんだよ。それにあいつなら立ち直れると俺は信じている。」
「ガイ!あなたはルークの従者で親友ではありませんか。本物のルークはここにいますのよ」
「本物のルークはこいつだろうさ、でも俺の親友はあの馬鹿のほうなんだよ。」
アニスとナタリアの抑制にもガイはそれぞれの顔を真っ直ぐ見ながら言う。
頑なでストレートな意志を曲げないガイの言葉を傍らで聞いていたジェイドがそこで口を挟んだ。
「迎えにいくのはご自由ですが、どうやってユリアシティに戻るつもりですか?」
「…ダアトの北西にアラミス湧水洞って場所がある。
もしもレプリカがこの外殻大地へもどってくるならそこを通るはずだ。」
「悪いなアッシュ。」
ガイが短く礼を述べるとアッシュは己を鼻で笑った。
「フン、お前がアイツを選ぶのはわかってたさ。」
「ヴァン謡将から聞きましたってか?…まぁそれだけってわけでもないんだけどな。」
意味深なガイの言葉にナタリアがどういうことかと問うがガイは答えることなく流した。
「ガイ。」
ガイが全員に背を向けたところで、この街についてから初めてが口を開いた。
意外な人物に掛けられた声を聞きガイは振り返る。
「アラミス湧水洞はダアト周辺に住む魔物より凶暴性が高い。
それに知能も高く異なった種族間でコンタクトをとり集団で侵入者を襲うことがある。
…だから…その、…気をつけた方がいい。」
「!…あ、あぁ、ありがとう、。」
思わぬの言葉にガイは驚きを隠せないまま答えるとは直ぐに視線を落とした。
驚いたのはガイだけでなく、アッシュ以外の全員が彼女をしばし眺める。
不思議な沈黙の空気が流れる中、ガイが一瞬視線を逸らしてからもう一度を見つめた。
「…なんなら一緒に行かないか?その…お前の力があれば俺も助かるし…。」
「それは困りますよ〜。ガイが抜けるだけでも戦力的に痛いのですから。」
が答える前にジェイドが割り行った。
「それに私と離れて行動すればリングが発動することをお忘れですか?」
ジェイドが眼鏡を直しながら言うと、ガイは己の中の何かが一瞬ざわつくのを感じながらジェイドを僅かに睨むように見た。
「リングを外すわけにはいかないのか?俺が気をつけていれば代わり無いだろ。」
「すみませんねぇ、此方も仕事なもので。マルクト側の問題はマルクト側で管理しなければなりませんし。」
「・・・・・・・。」
ジェイドがいつもの感情の読めない笑みを浮かべそう言い切った。
正論を突きつけられ、元々思いつきの勢いの様なガイの提案はにべも無く消される。
ガイは何も言えないまま再びアッシュたちに背を向けた。
「わかった…。…それじゃ。」
ガイはその後一度も振り返ることなくベルケンドを後にした。
そのガイの姿が見えなくなってからアッシュたちもワイヨン鏡窟に向かう為タルタロスへと戻っていった。
「なんだこいつは!ありえない!」
海風が吹き込み、じめじめとあまり気持ちのいいものではない空気に包まれているワイヨン鏡窟。
フォミクリー作成に置いて要となる材料、『フォミニン』が採れることから頻繁に人が出入りしている形跡がある。
そこを道なりに進み一番奥の開けた場所に、廃棄されて久しいと思われるフォミクリーの研究施設があった。
その施設のメイン機関の演算機がまだ生きていたためアッシュが慣れた手つきで機動させる。
ディスプレイに打ち出されたデータをみてアッシュが声を上げた。
「どうしたんだ。」
「見ろ!ヴァン達が研究中の最大レプリカ作成範囲だ。」
の問にアッシュは全員にディスプレイをみるよう、一度ピッと何かを押すと画面に数字が映し出された。
その数値を見たの目が僅かに見開く。
「…約三千万平方キロメートルだと…?このオールドラントの地表の10分の1はあるぞ。」
「採取保存したレプリカ作成情報の一覧もあります。これはマルクトで廃棄したはずのデータだ。」
の横に並び、つぎつぎと画面に打ちだされる文字の羅列を追いながらジェイドが言った。
「これは、今は消滅したホドの住民の情報です。
昔私が採取させたものですから間違いないでしょう。…気になりますね、この情報は持ち帰りましょう。」
「あれ?これチーグル?」
アッシュたちが演算機と向かい合い何事か作業を進める背後でアニスが檻の前でしゃがみ込んだ。
データ収集を終えたアッシュたちも、二つ並んだ檻に一匹ずつ入れられたチーグルの側に寄った。
「たぶんこいつらはレプリカと被験者(オリジナル)だ。」
「この仔達もミュウみたいに火を吐いたりするのかな。」
額の所に星の様な痣が同じようにあった二匹のチーグルを見ながらアッシュが言った所でアニスがゴンゴンと2回檻を叩いた。
それに反応してチーグルがミュウよりもやや火力のある炎を吐いた。
「うわ!びっくりした!」
思っていた以上に過剰に反応したチーグルにアニスが一歩下がる。
その様子を見ていたナタリアが今度はもう一匹の居る檻のほうへしゃがむ。
「この仔も同じかしら。」
アニスと同様に檻を二回叩く。
するとやはりチーグルは炎を吐くが、それは弱弱しくシュボ、と小さな音を立てて直ぐに消えてしまった。
「あら、こちらは元気がありませんわね。」
「レプリカは能力が劣化することが多いんですよ、こちらがレプリカなのでしょう。」
ナタリアの背後でジェイドが説明的に言った所でアニスが認識票に気付いた。
それによると火力のある炎を吐いたチーグルの方がレプリカらしい。
それを聞くとジェイドは時折レプリカ情報採取の時被験者に悪影響が出ることがあると告げた。
ジェイドの言葉にナタリアが不安げな顔で立ち上がった。
「まぁ、悪影響って?」
「最悪の場合死にます。完全同位体なら別の事象が起きるという研究結果もありますが…。
ナタリア、それにアッシュまで心配しなくていいですよ。
レプリカ情報を採取されたオリジナルに異変が起きるのは無機物で十日以内です。
生物の場合はもっと早い、7年もたってぴんぴんしているアッシュは大丈夫ですよ。」
理論的にそうジェイドが言うとナタリアはほっとしたように表情を和らげた。
その背後で何か深く考え込むように頭を抱えたアニスが唸るように溜息をついた。
「はぁ、レプリカのことって難しい…。これって大佐が考えた技術なんですよね?」
「…えぇそうです。消したい過去の一つですがね。」
「そろそろ引き上げるぞ。」
ジェイドが一瞬視線を落とした所でアッシュが言った。
「結局判ったことって総長が何かおっきなレプリカを造ろうとしてるってことだけ?」
「それだけで充分だ、行くぞ。」
「行くってどこへ…?」
一人で足早に踵を帰したアッシュの背中にナタリアが問う。
アッシュは顔を少しだけナタリアたちに向けた。
「あとは俺一人でどうにかなる、お前らを故郷に帰してやる。」
そのままアッシュたちはタルタロスへと戻った。
タルタロスの中から彼らの帰りを待っていたイオンが降りてくる。
イオンの足が地に着いたところで大地が大きく揺れた。
「…今の地震、南ルグニカ地方が崩落したのかもしれない。」
「そんな!なんで!?」
数秒間の強い揺れが収まった後アッシュが独り言のように言うとアニスが振り返った。
「南ルグニカ地方を支えていたセフィロトツリーをルークが消滅させたからな。
今まで他の地方のセフィロトで辛うじて浮いていたがそろそろ限界のはずだ。」
「他の地方への影響は?」
「俺達が導師を攫ってセフィロトの扉を開かせていたのを忘れたか?」
ジェイドの問いを問いの形のまま返すとイオンが口を開いた。
「扉を開いてもパッセージリングはユリア式封咒で封印されています。誰にも使えない筈です。」
「ヴァンの奴は其れを動かしたんだよ!」
「要するにあの男はセフィロトを制御できるのだな、そうなると奴の目的は…更なる大地の崩落、か?」
アッシュが苦々しげに吐き捨てた所でが冷静に思考をめぐらせた。
其れを聞くとアッシュが振り返った。
「そうみたいだな。俺が聞いた話しでは次はセントビナーの周辺が落ちるらしい。
とにかく此処を出るぞ。まずはダアトだ。」
***
「いや〜色々遠回りした上にだいぶ当初と予定が変わってしまいましたが、ようやくグランコクマに貴方を連れて行けそうです。」
半日ほどかけてタルタロスはダアトへと着いた。
元々神託の盾であるアッシュはそこで別れアニスとイオンもタルタロスを降りる。
そのまま次はバチカルへ行きナタリアを帰すつもりだったが、一行が魔界に居る間に事態は思わぬ方向に進んでいた。
アクゼリュス崩落によりキムラスカの王女ナタリア、そして親善大使ルークは死亡。
その崩落はマルクトの策略とされ、二人の死を名目にキムラスカ側が事実上の宣戦布告を発表していた。
話を掘り下げると其処にはモースが一枚噛んでおり、キムラスカ王国に開戦を煽ったのもモース本人との事。
それを聞きつけたナタリアは急遽イオンを筆頭に導師召勅を求める為ダアト本部へと向かってアニスたちと供にタルタロスを降りていった。
その間にジェイドは一度ピオニー陛下に事の展開を伝え、そしてを本国に連行する為にグランコクマに戻ることを決めた。
魔界に落ちた際に瘴気にやられた機関を見ながら自分の背後に立つ彼女にそう言うがは黙ったまま立っているだけだった。
ジェイドも別段返答を求めていたわけでもなかったため、そのまま点検作業を続ける。
暫くカチャカチャと機関の音が響いていた中でが口を開いた。
「…ジェイド。一つ聞いてもいいか。」
「えぇ、どうぞ。」
語尾を上げて答えながらもジェイドは振り返らずに器具を動かし続ける。
「なぜ私をマルクト側の村に着いたときその村の軍施設や領事に引き渡さなかった。
罪人を連れ歩くリスクを背負う意味が私には理解できぬ。」
「おや、引き渡して欲しかったんですか?」
「…問いに問いで返すのはお前が一番嫌っていることだろう。」
ジェイドの腕の動きが止まった。
一瞬の間を置いて持っていた工具を床に置くと緩慢な動作で立ち上がって振り返る。
「貴方は村一つ消滅させるだけの力を持っています。貴方が私の監視から離れたと同時にまた同じことを繰り返すかもしれない。
その力が得体の知れないものであるなら尚更です。対抗の仕様がありませんからね。
あとは、…貴方が何故かこれまでずっと私達に協力的でしたから、どうせなら役立ってもらおうと。」
お陰で色々楽でしたよ?とワザとらしく笑みを浮かべながら言うとは視線を床に落とす。
それをみたジェイドが一度眼鏡を押し上げた。
「私も一つ聞いていいですか、。…まぁ別に尋問というわけではないので答えるも答えないもご自由ですが。」
「なんだ?」
落とした視線をジェイドに戻した。
その男の目は冷たくも鋭くも、ましてや穏やかでもない。ジェイド本人でしか掴めない様な色を浮かべていた。
「何故貴方は逃げなかったのです。リングが付けられているとはいえ、その所有者である私を殺せば意味は無い。
それにやろうと思えばタルタロスごと私達を消すことだって出来たのではないのですか?」
ジェイドの問に数秒視線を逸らさずにいたは目を瞑って俯いた。
「…わからぬ。…そこまでして逃げ延びて生をつかむ気が私にはないのかもしれぬ…」
「でも数年前一度捕まった時はそこにいたマルクト兵を皆殺しにしてまで脱走したではないですか。」
俯いていた顔を横に向け目を開けて静かに言葉を紡ぐ。
「…本当にわからないんだ。私の何が今の私を確立させているのか。
己のことなのに、なにもわからない。…最近の私は、ひどく不安定だ。」
「精神的にですか?」
「違う…、うまく言えないが…存在、が不安定なのかもしれない。
自分が自分の意思で存在していると思わなければ消失しそうで…」
そこまで言うとは仮面の隙間から自分の前髪をくしゃりと握った。
いつもより何故かしおらしい、というよりむしろどこか儚さすら感じられる彼女にジェイドは言葉に詰まった。
「すみません。」
そこでジェイドが突然独り言のように謝罪した。
「…?何故いきなりお前が謝る。」
前髪を握った手を下ろし、小首をかしげてジェイドを見上げる。
ジェイドはその目を見て一度床に逸らし、眼鏡を押し上げて表情を隠した。
「始めに言いました、『尋問というわけでない』と。
それなのにどうも私は貴方を追い詰めてしまった様です。極端に逸脱しました。」
「…意味がわからぬ。軍人なのだから当然だろう。」
其れを聞くとジェイドが小さく溜息をついた。
「そうですね、そうなんですよ。…失礼、私も少々言葉がおかしい。
…言ってしまえば、単に貴方と普通に話をしたかった。ということなのかもしれません。」
「そうなのか?」
「そういうことにしておいて下さい。…そろそろ行きましょうか。」
工具をまとめてしまい操舵席にジェイドが向かう。
機関部のエンジンを始動しようとしたところでハッチの扉を慌しく叩く音がした。
「大佐!!!大変大変!!」
その音の主はアニスだった。
扉をぶち破らんばかりの衝撃で叩きながら、息を切らして二人の元に走り寄る。
「どうしたアニス。」
「アニス、タルタロスをもっと大事に扱ってくださいよ。あぁほらさっきの衝撃で扉が凹んで…」
「もー!!ふざけてる場合じゃないんですってば!
イオン様とナタリアがモースに軟禁されちゃったんです!!」
喜怒哀楽焦燥が全部入り混じったような声を張り上げる。
半分ふざけていたジェイドの目つきが変わった。
「それで二人はどうしたんだ。」
「わかんないよ、どこかに連れて行かれそうなのはわかってるけど…
追いついても私一人じゃどうにもなんないし、でも早く行かないと本当に何処に連れてかれるかわかんなくなっちゃう…!
そんなことになったらマジで戦争始っちゃうよ!」
そこでジェイドが冷静に向き直った。
「わかりました、アニスはイオン様たちの後を付けて行き先を突き止めてきてください。
その間に私達でイオン様とナタリア奪回の戦力をそろえます。」
「了解です!」
そのままアニスは背中のトクナガを揺らしながら慌しくタルタロスを出て行った。
「妙な事になりました、この周辺では私が動かせるマルクト軍もいません…
かといってグランコクマに帰港する時間は…」
「ならば、アラミス湧水洞はどうだ。」
顎に手を添えて考えこむジェイドにが言った。
それを聞きジェイドは何か思いついた様にタルタロスを始動させる。
「そうか、あそこならガイが居ます。少数精鋭の方がこちらも動きやすい。」
「それに、うまくいけばティアやルークにも合流できる可能性がある。」
「…ま、お坊ちゃまはとにかく。とりあえずアラミス湧水洞まで行きましょう。
行き違いにならなければいいのですが。」
静かな機械音と供にタルタロスが徐々に動き始めた。
「やれやれ、また暫くご助力願いますよ、。」
ジェイドがほくそ笑みながらそう告げた。
→Episode8